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長原成樹、ナイトスクープのガオ~さんの正体は、出演依頼殺到、ネタ、結婚について [芸能]


長原成樹ってタレントさん知ってますか?
関西の方なら、「ガオ~さん」の人と言えばわかるかもしれません。
長原成樹.jpg
ABCの人気バラエティ番組『探偵ナイトスクープ』で誕生したキャラクターが「ガオ~さん」なのですが、出動依頼が絶えない状態になっているそうです。

我が家は関西ではないのですが、番組のDVDを見て爆笑していました。


ガオ~さん誕生


誕生のいきさつは、番組で平成19年8月3日放送分の「探偵ナイトスクープ」で、5人兄弟を持つ両親からの『依頼』で、子供が夜騒いでいていうことを聞かないので、
「いうことを聞かないと、ガオ~さんがくるよ。」
と脅して、早く寝させていたところ、

子供たちがタダの脅しだと気づいてしまったので、番組に依頼して、本当のガオ~さんに来てもらったのです。

『探偵ナイトスクープ』は、このように視聴者からの依頼を番組の出演者である『探偵』が、持てる力、人脈を駆使して、解決する番組なのです。

ガオ~さんになるには


このガオ~さんに変身するのが、長原成樹さんです。
元々は秋田のなまはげをモチーフにしたキャラクターですが、変身するのには、ロケ車両のなかでメイクして2時間かかるそうです。

ガオ~さん収録後は、依頼先のシャワーを借りてメイクをおとし、そのうちの子供に種明かしをしているようですが、この依頼が、コンスタントに来て、平成20年から23年まで毎年1回のペースで、同様の依頼を受けています。

ガオ~さん本人は


ガオ~さんを努める長原成樹さんは、8人兄弟の末っ子で、母親を2歳の時になくし、お父さんも忙しかったことから、親に怒られた経験がないそうです。

父親にどつかれている同級生をみると羨ましかったそうなのですが、この時の感情を子供たちのために役立てています。

ネタ


長原成樹さん本人は、最近は漫談を定期的に披露しているのですが、動画は入手出来ませんでした。

映画には結構でていて、自らの半生を小説家した「犬の首輪とコロッケと」を監督して映画も放映されています。


柄本明前立腺手術から退院し復帰、ガンの可能性は?息子と嫁、病状 [芸能]

柄本明さんが都内の病院で、『前立腺肥大』の手術を終え、無事に退院しました。仕事にもすぐ復帰できるようです。
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手術を受ける際には、今月のはじめに、柄本明さんの奥さんの角替和枝(つのがえ かずえ)さんが、イベントのなかで、「前立腺がんの手術を行った」と語ったと報じられたようですが、
実際には、『前立腺が・・・』と語ったことが「前立腺がんの手術を行った」まで、拡大したようです。

実際の手術は「前立腺肥大」の手術で、所属事務所の「ノックアウト」によると、先週に内視鏡による手術を行い、現在は映画や舞台などの現場に復帰しているとのことです。

病状
3年以上前から前立腺肥大の治療を行い、薬をのんでいたようですが、担当のお医者さんから、手術を勧められて、今回施術を受けたのが本当のところのようです。

奥さん
奥さんの角替和枝さんも女優です。
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長女と、柄本佑さん、柄本時生さんの3人のお子さんがいます。

息子さん
江本祐(えもと たすく)さん:俳優です、奥さんも女優で安藤さくらさんです。
安藤さくら.jpg
柄本時生(えもと ときお)さん:俳優です。

前立腺肥大症とは
男性だけにある症状で、50歳代の男性の40~50%、80歳以上の男性では、80%を超える人に発症するもので、珍しいものではありません。むしろ老化の一般的な状態といっていいと思いますが、症状が進行すると、尿が出にくくなったり、頻尿になったりするので、治療が必要になります。

綾瀬はるか出演、八重の桜の会津藩のルーツ、発足の経緯[画像] [ドラマ]


幕末の戊辰戦争では薩摩藩、長州藩の新政府軍から、幕府の代わりのように傷めつけられた会津藩ですが、会津と薩摩は現在でも仲が悪いらしく、会津では、
「薩摩ものと結婚するな。」
というエピソードがしばしば耳に入ってきます。

会津藩が徳川幕府に忠誠を誓っていたことも有名ですが、このルーツについて、調べてみました。

会津藩のルーツは誕生がすこし複雑です。

会津磐梯山のふもとに、土津神社(はにつじんじゃ)という神社がたてられています。
土津神社.jpg
土津神社は、磐梯山(ばんだいさん)の昔の呼び名、「磐椅山(いわはしやま)」の名前を戴いた磐椅神社の末社になります。

徳川家康の跡継ぎの2代目将軍、徳川秀忠。この方の奥さんは、当時の殿様に当たり前だった「一夫多妻」を認めず、旦那は浮気は一切認めませんでした。

この奥さんは去年の大河ドラマの主役の「お江」織田信長、お江の姉は豊臣秀吉の側室となったお茶々(淀君)です。
お江.jpg
秀忠は、女中に手を出して男の子がうまれました。
この子を素性を隠して武田信玄の娘たちに預け、7歳のときに信州高遠城主の保科正光の養子となります。

この時に「保科正之」と名乗っています。

お江が他界したあと、異母兄の3代将軍徳川家光に会い、意気投合し、将軍の補佐役を務め、その後、初代会津藩主になったことが、松平会津藩の誕生です。

保科正之が没後に前述した土津神社に祀られました。

藩主筋の保科家は、その後松平家と名前を変え、一貫して将軍家の補佐役を担い、幕末も京都見回り組を組織したり、新撰組のスポンサー、白虎隊の結成と、衰退する幕府を支えていました。

そこら辺の部分は、今やっている『八重の桜』でも取り上げられているエピソードです。

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